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あなたの味わいがもっと深まる!

人の不労所得を喜ぶ

誰かが宝くじに当たったら
喜んで上げられますか?

友達に財産が入ったら
一緒に喜んで上げられますか?

その相手によっても違うでしょうが
一緒に喜んで上げた方が良いようです。

なぜかと言うと、
人の不労所得を否定することは
それが良くないと自分に認識させるからです。

不労所得を否定するする人には
不労所得はやって来ないということです。

自分に不労所得が入ってきたらイヤですか?
うれしいと思う人の方が多いのでは。

不労所得は悪の根源だ、と考える人は
ここに書かれていることは無視してください。

でも、そうでない人は日頃から
人の不労所得を喜んであげてみてください。

もしかしたら思いがけない不労所得が
あるかもしれません。

でも不労所得にも、
良い不労所得と悪い不労所得があるようです。

それは、その不労所得をどう使うかです。

そのことがまたお金の健康に
大きく影響するようです。

不労所得に関する認識をもう一度
見つめ直してみると生活が変わるかもしれません。

お金は、労力にプラス
思いに寄って来るようです。

有り難い

ありがとう、と感謝、の使い方
聞いたことがありますか?

ありがとうは、
もともと有り難いと書きます。
大変なことを乗り越えていくからこそ
そこに成長があります。

だから、自分にとって
大変なことが起きた時こそ
ありがとう!

毎日の生活の中で
空気がすえるってほんとうに幸せ!
とはなかなか思えませんね。

だけど、自分の気がつかない所で
助けてもらえたり
幸せにしてもらえてること
すごく多いと思いませんか?

常日頃から感謝!
良いことが起きた時に感謝!
を使ってみる。

大変なことが起きた時に、ありがとう!
良いことが起きた時には、感謝!

そして、何でもない時には、
ありがとう!感謝です!

そんな使い方はどうでしょう?

ありがとうと感謝の使い方で
何でも無い毎日が
特別な日に感じられます。

大変なことに、ありがとう!
平穏なことに、感謝!

そして、
顔晴ってる自分に、ありがとう!
何でもない自分に、感謝!

「嘘」から「うそ」へ

家庭では、嘘をついちゃいけないよ、
と教わり
学校でも、嘘をついちゃいけないよ、
と教わり
社会に出たとたん、嘘をつきなさいよ、
と仕込まれる。
社会に出た時に強く、そう感じました。

それがサービスだ、それが仕事なんだ、とか。
変だな、と思いました。
「嘘つきは泥棒のはじまり」と言われるように
社会一般では嘘をついてはイケナイのに……。

でも、嘘というもともとの言葉の意味と
それを解釈する人の意識の差があります。
まじめな人であればあるほど自分に厳しく
嘘をついてしまった自分を攻めたりします。

嘘にも良い嘘と悪い嘘がある
と考えてみませんか。

人を貶めるような嘘は悪い嘘。
人を喜ばせるような嘘は良い嘘。
そんな風に捉えると少し心が楽になりませんか?

君ならきっとがんばれる!
とか、
お嬢さんを一生幸せにします!
みたいのは良い嘘のようにも思います。
だって未来のことなんて誰にも分かりません。
ほんとにそれができるんなら
証明してみろなんて言われてもできません。

そういった意味で
どうしてもつかなきゃいけない嘘って
多いですよね。
そのお洋服、お似合いですよとか。

そう考えると、嘘の定義自体が難しい。
嘘というのは、
もともと悪いこと表す言葉なんだー!と
怒られそうです。

であれば、
「うそ」にしませんか?
かわいい「うそ」は
人を幸せにすることもできます。
人を喜ばせる「うそつき」さんになることも
心の健康に繋がるかもしれません。

おじいちゃんと柱時計

子供の頃、居間の真ん中の柱には
振り子が揺れる柱時計が着いていました。
明治生まれのおじいちゃんは、
踏み台を持ってきて、
毎日決まった時間にゆっくりゆっくり
ぎぃ、ぎぃ、っと螺子を巻きます。

それを見ているのが大好きで
いつもおじいちゃんの螺子まきを
密かに楽しみにしていました。

ある時、
螺子はな、ゆっくり巻くもんだ。
そして、巻きすぎてもダメ、
緩すぎてもダメ、と言うのです。
そうすると長持ちするんだよ、と。

そんなおじいちゃんは、
とにかく毎日決まって同じことをする達人。

魚の味噌煮は骨だけになるまでキレイに食べ、
お茶をかけて骨を洗うようにして、
それを最後に飲み干す。

歯ブラシはな、歯を磨いた後に
反り返らないように手でこうやって戻すんだ、
と自分の手でやって教えてくれました。

凄いことではないかもしれないけど
毎日の大切なルーティーンを見せてくれました。

お酒も毎日飲みます。

ある日の夕飯、母が
おじいちゃん、済みません今日お酒切らしちゃって、
というと……
わしゃ、毎日一合より多く飲む日も無いが
何も飲まない日も無いなぁ……と。

母はすぐにお酒を買いに行きました、

おじいちゃんは明治生まれの人でありながら
93歳まで健康で暮らしました。

毎日の自分にとっての大切なこと
しっかり実行することを教えてくれました。

決まった時間に起きる、
決まった時間に食事をする、
かならずトイレ掃除をする、
かならずあいさつをする、
数えたことはありませんが
相当ルーティーンが多いと思います。

そのお陰か、ひ弱でありながら
風邪をひくくらいで、
病気をしたことがありません。

もう少し歳をとったら、
一合以上飲む日もないけど、
何も飲まない日もない日を続け、
おじいちゃんと晩酌をしたいと思います。

今もそれに近いですが……

家電も眼鏡も自動車も洋服も
毎日同じように接して上げていると
長持ちすると思いませんか?

いずれ柱時計も欲しいと思います。

1円玉を大切に

10000円札と1円玉を拾ったら、
どちらの方がうれしいですか?

普通は、10000円札と答えるのでは?

でも、交番に届けるの面倒、とか。
使ってしまうと罪悪感が、とか。

こんな話し聞いたことありませんか?

1円玉の親は、5円玉。
5円玉の親は、10円玉。
10円玉の親は、50円玉。
50円玉の親は、100円玉。
100円玉の親は、500円玉。
500円玉の親は、1000円札。
1000円札の親は、5000円札。
5000円札の親は10000円札。

※2000円札が入ってなくて済みません。

一円玉を拾って大切にすると、
その親、またその親、そしてまたその親と
お礼にやって来る。

そんなことあるもんか!と思いますか?

ある日、1円玉を拾いました。
キレイにしてお預かりしています。
なぜかというと、
1円玉を拾った自分はついているからです。
また、少し経ったある日、
今度は、ひしゃげた1円玉を拾いました。
なんて自分はついてるんだ、思いました。

とても大切にお預かりさせていただいています。
変だと思いますか。

その後のお金の巡りがどうなったと思います?
ご想像にお任せします。

心のゴミ拾い

健康のために時々会社まで歩いています。
約20分ほどです。
時間は朝の6時くらい。
そんな道のりにはそれなりのゴミが。
どうせ歩くのならとゴミ拾い。
そう思って歩くとけっこうなゴミの量に気づきます。

そのうちの八割がタバコの吸い殻。
嫌煙家の自分としては腹がたってきました。
だからタバコを吸う人は嫌いだ!……とか
ゴミを平気で捨てる人って何なんだ……とか
折角の気持ちのいい朝が台無しです。
でも、それは自分が招いていたことでした。

ある日、よーし今日もゴミを拾うぞ!
と意気込んでご出勤。
ところがゴミがひとつも落ちてないんです。
そんなことあるもんか!
と思ってみても無いんです。

気がついたんです。
ゴミを拾うためには、
捨ててくれる人がいないと拾えない。

ゴミを拾いながら歩いていると、
ご苦労さま!!とか言って
ほめてくれる人がいるんです。
いい気になって、自分は良いことしてるんだ!
みたいな思い上がりがありました。

自分が良いことしたいと思ったら
そうでない人がいてくれないとできない。
そう思ったら、ゴミにも捨てる人にも
腹がたたなくなりました。

ゴミさん、ありがとう!
捨ててくれた人、ありがとう!
これは、極端かな?

でも、体の健康のための早朝徒歩通勤が
実は、心の健康につながりました。

最近では
夜のコンビニの時給の方が高かったりして
早起きは三文の徳(得)とは言い切れませんが、
やっぱり早朝が好きです。

枝打ち

会社の近くの公園に、
樹齢110年の
それはそれは素敵な木が三本あります。

見晴らしの良い明るくフラットな公園に、
「これまでも、そしてこれからもずっと
みんなを見守っていくからね」と
言って大黒柱のように立っています。

冬になっても緑の葉が生い茂っているのですが、
ある朝見ると枝打ちがしてありました。
前日「枝打ちをしているな」と
気にとめていたのです。
枝打ちされたその姿を見て驚いてしまいました。
生い茂った風貌もみごとだったのですが、
枝打ちされた姿は枝のバランスも良く、
風通しも光の通しも良さそうな、
見る人の気持ちまで
スッキリさせてくれるような姿に
変身していたのです。

「う~ん」とうなってしまいました。
人の心に見えたからです。

いろんなことを知りすぎて
ノイローゼ気味になってしまう
真面目な人が多いのではないか、
と最近よく思っています。

そんな人たちに、
このすばらしい枝打ちのように
「もう、このことは捨てていいんだよ、
その過去はもう充分に学習したんだから、
忘れてもいいんだよ」と
言ってあげられるようになりたいと思いました。

生きることの先輩であるその木に
「人間、のびのび自分らしく生きるために、
上手に心の枝打ちをすることが必要なんだ」と
教えてもらいました。

自分差別

世の中には、
人種差別をはじめさまざまな差別がありますが、
私たちが気がついていない
差別もあるのではないでしょうか。
一般的に差別というのは
他の人に対するものなのでしょうが、
実は人は、
自分をいちばん差別している
のではないかと思うのです。

どういうことかというと、
「自分なんか、何も才能がないから」とか
「いい学校を出ているわけじゃないから」
「家柄や育ちがいいわけじゃないし」
などと思っています。

またその反対に、
「社長だから自分は偉いんだ」とか
「いい会社に就職できたから」、
「主人が出世したから」…
などと思いこんでいる人も。

中には、人の意見を聞いてかってに解釈し、
「バカなこと言っているな」などと
ココロの中で根拠もなく
自分がいちばん正しいと思っていたりする人もいます。

このように卑屈になったり、
反対に上から人を見下ろすような
態度をとってしまうのは、
ほんとうの自分を知らないことから起きる、
自分差別だと言えます。

この自分差別をしなくなった時にはじめて、
自分の個性や能力といった
自分らしさが見えてくるのではないでしょうか。